「看取り」自宅で最期を迎える。

保健師・看護師・准看護師

2021/07/10

Meet Uをご利用の皆さん、こんにちは(*^^*)


運営事務局です。


今日は「自宅で人生の最期を迎える事」について、訪問看護師として多くの方々の「自宅での人生の最期」に立ち会ってきた小坂さんにお話を伺ってみました。


早速内容に入っていきましょう。


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Meet Uをご覧の皆さん、こんにちは。


看護師の小坂と申します。


看護師として多くの方の「人生の最期」に立ち会わせて頂きました。またその中で「自宅で最期を迎える」場面にも立ち会わせて頂きました。その経験から私なりの考え・意見をお話させて頂ければと思います。


 


ひと昔前、私たちのお爺ちゃんお婆ちゃん世代は「畳で大往生」が当たり前でした。そもそも日本の伝統文化では在宅で大家族に囲まれながら死を看取るのが当たり前の環境でした。


しかしいつからか家族の「死に際」は病気の延長線上となり、病院暮らしが最適な選択と思う傾向が強くなりました。また面倒な在宅での死よりも、「最後まで治療を続けた・続けてあげられた」という家族の満足感が優先となっていきました。


その結果医療への依存が強まる傾向となり、病院での死が最良とする考えが当たり前となってきたように思います。


 


10年以上の看護師経験の中で病院でも在宅でも多くの方々の看取りの場に立ち会わせて頂きました。その機会を今振り返ると、在宅で最期を迎えた方は安らかに最期を迎える事ができやすい環境だった、というのが私の思いです。では病院で最期を迎えた方やそのご家族の満足度はどうなのか?


「延命治療」という言葉はお聞きになった事があるかと思います。延命治療の希望や継続、治療方針等を決めている大半が、本人ではなく家族である事が現実です。重篤な状態になった場面では本人が正常な判断を出来る状態ではない事が多く、家族・親族に判断が委ねられます。


私が病院で勤務していた頃、本人の意思確認が取れないため家族に判断をしてもらった際、家族が延命治療を希望される事がとても多かった様に思います。延命治療(人工呼吸器・経鼻栄養・中心静脈栄養など)を選択した事で、本人の意思とは関係無く身体抑制を余儀なくされ、そのまま死を迎えた方やそれを後悔する方を目の当たりにしてきました。


 


一方、在宅ではどういう状況なのでしょうか。


まず言える事は、患者さんにとって過ごし慣れた家が有り、見慣れた家の風景がそこにはあります。


独居の方も含め多くの方が、どんなに重症でも安堵の表情を浮かべていた事が大きく印象に残っています。


在宅では病院と比べると常に状態を管理できている状況ではありません。ただそれを補うかの様に保険制度を使えば在宅にいながら様々な医療サービスを受ける事が出来ます。医師や看護師だけでなく、理学療法士のリハビリテーションや、按摩マッサージ指圧師等のサービスを受ける事も可能です。


 


自宅で最期を迎える時、病院ほど亡くなる直前に対面できる機会は多くありません。しかし死の間際に対面出来なくても誰も後悔していない、多くの家族は死後のケアをする時に思い出話をしながら笑顔であり、看護師として大きな仕事を出来た感動が今も記憶に残っています。


在宅医療はこれからも推進され、多くの方の在宅での死、尊厳死が守られていくのではないかと個人的には思っています。今回は自宅での看取りをメインにお話をしました。ただここで誤解して頂きたくないのは、延命治療を必ずしも否定しているわけでは無いという点です。


私が伝えたいのは延命治療は「無駄に命を長らえさせる治療」では無く、「自分の生き方を謳歌するための治療」であるという事です。


そこに明確な本人の意思が存在し、延命により得た人生で仕事をしたり、趣味を楽しんだり、友人と楽しく過ごしたり、その人らしい生き方を謳歌する、そのための治療が延命治療と言えるのではないでしょうか。


 


在宅医療は無限の可能性を秘めていると思っています。


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皆さんは、いかがでしたか?


決して「楽しい話」ではありませんが、「誰もがいつかは迎える、考える話」ではなかったでしょうか。そんなきっかけの1つにこの記事がなればと思っています。


今回お話を伺った小坂さんはMeet Uに看護師で登録しています。是非プロフィールもご覧になってみて下さいね!(^^)!


小坂宣靖の詳細情報-Meet U

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